小谷城跡(浅井亮政築城)

歴史

筆者の歴史小説「近江応報 ー戦国浅井三代ー」の舞台である小谷城について紹介したいと思います。写真は2年程前に取材した当初のものです(ちょっと赤みがかっているのは慣れないアクションカメラを使ったせいで水中モードにどこかで切り替わってしまったためです。ご愛敬ということで。実物は緑地がもっときれいですのでご自身の目で観光してもらってもよいかと思います)。

近江応報(壱) ー戦国浅井家三代ー(歴史小説)
戦国浅井家三代の歴史小説。相模の北条早雲、美濃の斎藤道三に並ぶ、浅井長政の祖父・亮政による北近江の国盗り物語。2026年7月2日 にamazon kindleより発売中。著作:有峰行信 亮政編・前編 概要時は戦国時代中頃。1490年代、浅井…

歴史小説「近江応報 壱巻」にはまだ小谷城が出てきませんが、弐巻より築城して実際に戦に使われるシーンが登場します。

小谷城

 小谷城は、小谷山(標高495m、滋賀県長浜市)の中腹に浅井亮政により築城されました。亮政は2026年NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」でも登場した浅井長政の祖父にあたる人です。小谷城は、尾根沿いに六坊、本丸、京極丸、山王丸、中の丸、小丸、大広間、桜馬場、御馬屋敷、赤尾屋敷および金吾丸、出丸、月所丸、福寿丸、山﨑丸、大獄城(大獄と呼ばれる小谷山三町部分の詰城)が設けられていました。現在は建物の類いは残念ながらすべて残っていません。歴史の興亡による結果ですね。

右上に山本山、中央少し右手に竹生島、左手に虎御前山

小谷城の築城年は正確には分からず、1525年(大永5年)より少し前に建てられたことは間違いないようです。築城当初は天守もありませんし、石垣もなかったとみられます(この頃、石垣の城は六角氏の観音寺城くらいです)。土塀に堀と言った防御要塞というところが小谷城の姿です。その後、亮政~久政~長政と小谷城は増改築されて行ったようです。

本丸跡

↑現在の本丸跡です。亮政の時代はもっと北側の大獄城付近が本丸だったようです。上の本丸が作られたのは、久政、長政の代になってからのようです。小谷城の本丸は長浜城、そして彦根城・西の丸三重櫓へ移築されたようです。(中井均、「近江の山城ベスト50を歩く」サンライズ出版(2006))。

大広間跡

千畳敷と言われた大広間も建物は跡形もなくなっています。

アクセス

小谷城跡は、JR河毛駅(JR西日本 北陸本線)より約2km離れたところにあります。河毛駅の隣接施設でレンタサイクルが借りられるので、それで行けばすぐのところです。歩ける距離ではありますが他に見てまわる場所があればレンタサイクルを借りてもよいと思います。途中、道に迷っても、地元の人が小谷城観光を推進しているのか、親切に教えてもらえます。スマホを見れば簡単にたどり着けますが。

小谷山は小高い山になりますので、登るとそれなりに疲れる高さです。中腹まで定期バスも出ていますのでそちらを利用するという手もあります。熊注意の看板・フェンスがあった気がしますので、どちらがよいかは自主判断で。

小谷山を登っていくと、登山道に石が多数落ちており、ごつごつしているのがわかります。近くで話していたガイドさんに依れば、羽柴(豊臣)秀吉が長浜城築城で石垣などの石材として利用するため、小谷城から持ち出した名残のようです。小谷城自体は徹底的に破壊されたようです。

実際に自分の足で小谷山を登って、小谷城跡を見てみると落ちない堅城だった理由も分かって来そうです。曲輪を一ずつ落としていかないと行けないような作りになっています。山裾は残骸絶壁といった天然の要害です。

ライター: 有峰行信

近江応報(壱) ー戦国浅井家三代ー(歴史小説)
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