出雲

歴史

以前、出雲に行ってきました。その時のことを少し紹介しようと思います。新緑の季節に行きましたが、とても空気が澄んでおり、出雲大社があるくらいですので神聖な感じを受けました。新緑もどこか青々しているようです。

出雲と言えば出雲大社ですが、大勢の観光客が押し寄せています。一方で、出雲駅付近はあまり栄えていない印象でした。出雲の近くでは、松江の方が開けていますが、駅前のデパート・一畑百貨店が2年程前(2024年1月)に閉店するなど、衰退傾向にあるようです。

出雲大社があり開けているところもありますが、それ以外は見た限り古き良き日本の田舎町という印象です。しかし、田舎ゆえ、鉄道、バスなど、都会人では考えられないような本数しか出ていませんので、行かれる方は事前に時刻表を確認することをお勧めします。時間に追われる毎日に疲れた方は、訪れるとだいぶ心のゆとりを感じることでしょう。

出雲大社

やはり出雲大社の近くに行くと大勢の観光客が押し寄せていました。

しかし、とにかく新緑が綺麗で、空気が澄んでいるところです。そういう霊的に神聖な立地を選んで出雲大社が造られているのでしょうね。出雲大社は、今の建物が江戸時代に建てられたもののようですが、その原形は古代にまで遡るほど歴史のあるところです。行くだけの価値はありますね。

松江城

出雲(島根県)の戦国時代では近くの城というと尼子氏の月山富田城が有名ですが、天守が現存するものだと松江城です。関ヶ原合戦の後、堀尾吉晴が築城したそうです。

内部に入ると、かなりしっかりとした造りになっているのがわかります。他の再建された天守だと鉄筋コンクリートという城もありますが、松江城は当時のまま木造となっています。一本一本の木がこれまた太く、今でも頑丈さを感じることができます。

戦国期

戦国時代では、戦国大名・尼子経久が下剋上で出雲の地を奪い取ったことでも有名です。尼子氏が治める前は、守護として任じられていたのが京極氏でした。

出雲・隠岐は北近江の京極氏(宇多源氏の佐々木一族)が領した飛び地でした。応仁の乱の時、京極家の家督争いが発生します。その後、1477年(文明9年)には京極高清が北近江の守護に任じられ、京極政経が出雲・隠岐の守護に収まることで、家督争いも一旦収束します。

それでも、政経、そして、その子の材宗が、北近江の領地を狙い続けることが続いて行きます。しかし、京極家は家督争いにより力を次第に失って行きます。その機を見て、政経から出雲を下剋上で奪ったのが尼子経久であり、北近江の実権を握ったのが浅井亮政(浅井長政の祖父)になります。

浅井亮政の国盗りに興味がある方は、筆者の著作である「近江応報 -戦国浅井家三代 亮政編-」をご一読頂ければと思います。経久は元守護代でしたが、亮政は一介の国人(土豪)に過ぎないところから成り上がる違いがあります。

近江応報シリーズ ー戦国浅井家三代ー(歴史小説)
著作:有峰行信壱巻 <亮政編・前編> 概要時は戦国時代中頃。1490年代、浅井亮政は近江国浅井郡丁野郷の小領主(国人)である浅井家跡取りとして生まれる。北近江では応仁の乱後の余韻も冷めぬ中、守護である京極家家督争いが繰り返されていた。当時い…

ちなみに、尼子氏は京極氏の分家にあたり、発祥の地は近江国甲良荘尼子郷になります。また、浅井亮政には近江の地に残っていた尼子氏から尼子馨庵が嫁いで来ます。この馨庵が浅井家の世継ぎ・久政の母にあたります。出雲の尼子氏とも交流があり、浅井亮政は経久の孫・尼子晴久に近江・竹生島の社殿造営の寄付を頼んだりしています。かなり複雑に入り組んだ人間関係、家のつながりとなっていますね。

ライター: 有峰行信

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