一乗谷 朝倉氏館

歴史

一乗谷

福井県のJR九頭竜線 一乗谷駅より1kmほど行ったところに、越前朝倉氏が城下町を築いた一乗谷があります。福井駅からバスが出ていますので、そちらからの方が便利かもしれません(田舎ですので電車の本数がほとんどありません)。筆者は行きがバスで帰りが電車で福井駅に戻りました。

一乗谷は南北6km、東西0.5kmほどの谷で、入り口には城戸跡があり、石垣の一部も残っています。標高は470mほどです。建物の類いはすべて焼け落ちていますので、ほとんど残っていません。一部、再現で復元した建物があります。バスで一乗谷に来た場合は、城戸を通り抜けて「(朝倉氏遺跡)復原町並」という一乗谷中央付近のバス停で降りることになると思います。

朝倉一族の館、家臣の館、寺社、病院、商工業などの都市機能が一乗谷に集約された都市だったようです。西洋のように城壁に囲まれた都市と近いですね。近くに一乗谷朝倉氏遺跡博物館があり、町並みが再現されたジオラマもあります。

一乗谷の中には足羽川の支流である一乗谷川が流れています。一乗谷川から足羽川、日野川、九頭竜川を介して、舟で様々なところに行ける航路が開かれており、戦国の当時としては運輸に関しても利便性があったようです。

朝倉氏館

一乗谷の中ほどに、越前朝倉氏の館跡があります。土塀に囲まれた武士の館と行ったたたずまいで、いかにも当時の守護の館という感じです。その広さは管領家と同じくらいというのですから、朝倉家がどれだけ家格を上げることに苦心していたのが分かるような気がします。

館の中には、外賓などを接待するための施設など、多くの建物が建っていたようです。今は見る影もなく、その跡が残っているばかりです。

現在、筆者は「近江応報」という浅井家三代の歴史小説を書いていますが、調べてみると、浅井と朝倉がそんなに親しい仲でもなかったようです。織田側からの歴史だと、浅井と朝倉が同盟関係のような方が都合がよいということなのかもしれません。正史では浅井亮政(浅井長政の祖父)の時に六角氏と朝倉氏により大軍で小谷城に攻め寄せられたようです。文献の読み解き方を間違えて朝倉が浅井に味方したと取られたとも言われているようです。長政の時代になっても、そんなに浅井と朝倉が親しい訳でもなく、対織田信長で結束しただけなのかもしれません。

ライター: 有峰行信

近江応報(壱) ー戦国浅井家三代ー(歴史小説)
戦国浅井家三代の歴史小説。相模の北条早雲、美濃の斎藤道三に並ぶ、浅井長政の祖父・亮政による北近江の国盗り物語。2026年7月2日 にamazon kindleより発売中。著作:有峰行信 亮政編・前編 概要時は戦国時代中頃。1490年代、浅井…
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